城戸南蔵院前駅から国道を下ると大師橋を渡りすぐ右手に『第72番田ノ浦拝師堂』がある。
本尊は大日如来、左右に観音様、弘法大師、十三仏等を祀り、四国の山号我拝師山からとって「拝師堂」とした。本堂前には「得忍堂」があり、篠栗霊場開祖「藤木藤助翁」の座像が祀られ、翁はやさしい目で参拝者を見守っている。
藤助翁は中ノ河内に生まれ、田ノ浦の藤木家の養子となる。信仰に厚く、若杉石井坊賢貞師に師事し、真言密教の大意を悟り、単身四国遍路の出て大師の遺跡を巡拝した。当時、慈忍尼が中断したままの八十八ケ所創設の引き継ぎを決意する。さらに同氏を募り、四国各札所の霊砂を持ち帰り、八十八体の本尊石仏を刻んで篠栗新四国霊場の礎を築いた。
藤木家は三代目の時、水車による粉ひき業を生業にするため多々良川沿いの現在地に移転した。昭和28年(1953)「篠栗四国百二十年祭」を機に発起人印藤与市郎氏、直径の藤木藤助らによって本堂を改築、堂前に得忍堂を建立した。